資料

置いときます

石原八景の資料

石原八景の詩碑を 2017年の6/16と17  仙石くんと巡りました

(もともと石原前堤でホタルを見るために渋川にいった)

そして2018/11/11(日)に仙石くんが「文化しぶかわ」第12号を手に入れ、それにより足りなかった資料が埋まったこともあり、やりかけだった記事を仕上げてみました

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文化しぶかわ12号によると

  • 昭和61年に石原の大山祇神社に調査が入り、一枚の奉納額が発見された

  • さまざまな分野の専門家がこの額を調査研究し、石原の景色を詠んだ漢詩であると判明

  • 北毛・渋川地区で幕末から明治にかけて郷学に努めた堀口蘭園の門下生が、石原の四季折々の自然を漢詩に託し、明治19年大山祇神社に奉納したものだった

  • 中村倫司さんによると八景詩が発見されたのは偶然にも奉納されてからちょうど100年後とのこと

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石原八景の地図看板は市役所の裏門近く、諏訪神社にあります

石原前堤と後堤の大きさもあべこべだし、ナンバリングもなぜこの順番なのかわからないものになってます

そして渋川あるあるなんですが、西が上で描かれてます

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よく見たらこの地図に僕の探していた「金沢川」の表記もありました

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文化しぶかわに載っているこの地図の方がナンバリングもわかりやすく、ちゃんと北が上になってるので、こちらの数字をもとに書きます

①「城峯蜀魂」

②「金渓蛍火」

③「村社櫻花」

④「琴山朝曦」

⑤「二井小雨」

⑥「村塘望月」

⑦「白山瀑布」

⑧「坊川暮色」

 

 

まず①「城峯蜀魂」(この詩碑の下に地図看板もある)

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城峯蜀魂

城峯蜀魂 石坂遊碁 

 

城峯々下鎮柴荊  

唑思遠人眠未成 

夜半出門残月白 

満山啼血杜鵑聲 

 

城峯々下 鎮なる柴荊 じょうほうほうか しずかなるさいけい

唑して遠人を思えば 眠未だ成ず ざしてえんじんをおもえば ねむりいまだならず

夜半門を出づれば 残月白し やはんもんをいづれば ざんげつしろし

満山の啼血杜鵑の聲 まんざんのていけつとけんのこえ

 

これがまず 諏訪神社の階段をのぼったところにあります

 

荊(けい)・成(せい)・聲(せい)で韻を踏んでいる

 

峯 山の高いところ

蜀魂(しょっこん): 《蜀の望帝の魂が化してこの鳥になったという伝説から》ホトトギスの別名。蜀魄(しょくはく)。蜀鳥

柴荊(さいけい):①しばやいばらなどの雑木 ②あばらや

遠人(えんじん):遠人(とおひと) 遠方の人

夜半(やはん):夜中 

残月(ざんげつ):明け方まで空に残っている月。有明の月。のこんの月

満山(まんざん):山全体

啼血杜鵑(ていけつとけん):血を吐くほどにけたたましく鳴くホトトギス

 

文化しぶかわより

《詩の意味》

城峯(諏訪神社)の森の下にある静かなあばら屋の一室に座り、遠くに住む人を思うと眠ることができない。夜中に外に出ると夜明けの月が淡く白い。すると、森の中から血を吐くようなホトトギスの声が聞こえた。

《今の景色》

諏訪大明神の鳥居をくぐり30余段の石段を上がれば城峯神社御仮屋の跡があります。戦の神様で、砲丸投げの玉のようなものが祀ってあるそうです。境内には、梅や枝垂れ桜やモミジの木が植えられ紅葉がきれいです。街並みのむこうに赤城山が眺望できます。

城峯神社 (しろみねじんじゃ?)

御仮屋 (みかりや?)  

でいいのだろうか

 

 

このあと石原後堤と前堤に行ったのですが、翌日の明るい写真を使いたいので、とりあえず③「村社櫻花」大山祇神社から書きます

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村社櫻花

村社櫻花 高橋正明 

 

大山社内皆櫻樹 

万朶遍開嬌社新 

況是石原名所地 

東西南北賞花人 

 

村社の櫻花 そんしゃのおうか

大山社内 皆櫻樹 おおやましゃだい みなおうじゅ

万朶遍く開き  嬌社新なり ばんだあまねくひらき  きょうしゃあらたなり

況や是れ 石原名所の地 いわんやこれ いしはらめいしょのち

東西南北 花を賞する人 とうざいなんぼく はなをしょうするひと

 

万朶[ばんだ]  〔朶は垂れ下がった枝のこと〕→(花のついた)たくさんの枝のこと

新(しん)・人(じん)で韻を踏んでいる

《詩の意味》

大山祇神社の境内の木は、皆桜である。全ての枝の花が開き、美しく見える神社が新鮮だ。この神社は石原の名所であるから、東西南北の各方面から神社の桜を褒めに来ている。

《今の景色》

大山祇神社は、山を持つ神とされ山林拓殖、土木農などをつかさどる神です。石鳥居をくぐり巨大な石灯籠を左右に見ながら90余段の石段を上れば、杉の巨木の中に神殿が鎮座しています。神殿は板葺き総欅で、拝殿は昭和27年に増築されました。また備前三郎国宗の銘刀があり神刀とされています。

参道には桜の木が多くあり花見で賑わったということですが、今は根本に残った小枝一本のみです。大欅と共に小杉が数本、他に大石、祭龍祀、石祀、盥水盤(かんすいばん)、道祖神などがあり、木々に囲まれ苔が生えた境内は威厳に満ち杉林をぬける風と木洩れ日が気持ちよいです。自然を敬い自然の中で生きた人たちの深さを感じました。

総欅 そうけやき?

祭龍祀 さいりゅうし?

石祠 せきし?

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石原の大山祇神社

 

大山祇神社の石段を登ると、赤ちゃんの足跡のようなものがあり、これを神足石といいます(僕は「じんそくいし」と呼んでます)

 

『渋川・北群馬の伝説』(中村倫司著)によると

神足石 石原の大山祇神社の石段の上から二段目の段に、子供の足跡がついています。神様が遊びに行った時の足跡だといいます。村人は、その足跡をよけて踏まないようにしています。

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神足石と思われるへこみ

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神足石と書かれている

 

そのまま大山祇神社の上を登っていくと④「琴山朝曦」 琴平神社

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琴山朝曦

琴山朝曦 伊藤祐隆

 

琴山々上望無窮

忽見朝曦射眼紅

北野南林鶯恰々

百花村落靄濛々

 

琴山の朝曦 きんざんのちょうぎ

琴山々上 望み窮まり無し きんざんさんじょう のぞみきわまりなし

忽ち見る朝曦 眼を射って紅なり たちまちみるちょうぎ まなこをいってくれないなり

北野南林 鶯恰々 ほくやなんりん うぐいすこうこう

百花の村落 靄濛々たり ひゃっかのそんらく もやもうもうたり

 

紅(こう)・ 恰(こう)・ 濛(もう)で韻を踏んでいる

 

朝曦 ちょうぎ 朝の日の光

 

文化しぶかわより

《詩の意味》

琴平山に登り、見渡す景色には限りが無い。今、朝日が昇ろうとして我が眼を深紅の光が差している。北に広がる野原や南の林では、ウグイスが鳴いている。多くの草花が咲く集落には、朝もやが立ちこめている。

《今の景色》

石原八景で最も高台にあるのが琴平神社です。大山祇神社から通じる道がありますが、今は神社の裏側まで車で上ることができます。裏側から道を下るとモミジの枝が尾根を包みこむように琴平神社が見えてきます。社前の昔通ったという直線的な男道と、くねった女道は、今は通れず、大木が生い茂って景色は全く見えません。境内の親子松は枯れ朽ちた太い根本だけが残り、そばに杜鵑草(ほととぎすそう)が咲いてました。

毎年一月に祭典が行われ、くじ引きや甘酒がふるまわれ賑わうそうです。

琴平神社はなんというか、さびれていて人の気配もなく、規模も小さい

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親子松

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由来碑

由来も書かれているが読みづらい

 

漢字表記は

案内図では金刀比羅宮

住宅地図では金刀比羅神社

現地の札には琴平神社

と書かれている

 

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琴平神社

この建物の裏にブルーシートにくるまれた長い棒状のものがあり、たぶん大山祇神社の祭につかうノボリだと予想

 

⑤「二井小雨」 石原後堤

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二井小雨

二井小雨 小野澤信□ 

圯橋風暖巻春衣

渓北渓南草較肥

二井寺辺一邨雨

千村萬落百花馡

 

二井の小雨 にせいのしょうう 

圯橋風暖かく  春衣を巻き いきょうかぜあたたかく しゅんいをまき

渓北渓南 草肥を較う けいほくけいなん くさひをきそう

二井の寺辺 一邨の雨 にせいのじへん いっそんのあめ

千村萬落 百花馡し せんそんばんらく ひゃっかかんばし

 

衣(い)・肥(ひ)・馡(ひ)で韻を踏んでるんだと思うけど、馡の日本語での発音はよくわからなかった

 

名前の最後の一文字は

「稷」「穆」「稂」「稪」「稉」

あたりだろうか

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この最後の漢字が発見できなかった

 

文化しぶかわより

《詩の意味》

土の橋に吹く風は暖かく、春の衣装の裾を軽く吹く。谷の北や南に生える草は、大きさを競ってるようだ。前堤と後堤の周りの集落に雨が降り、咲く花々の香りが芳しい。

《今の景色》

後堤は御林沢の水を堰止めた用水池です。深さ5㍍余りで底に「かっぱ石」と呼ばれる大石が横たわっています。

木々に囲まれ静かな中に土橋下を流れる川音が心地よく響き、山が連なる先には水沢山が見えます。水面には数羽の鴨が気持ちよさそうに泳いでいました。昔は水泳やスケートをしたそうです。堤沿いには野菊が咲き、土手下には田畑が広がり遠く赤城山の景観を楽しめます。

 

僕はこの「御林沢」というのが、どこを差してるのか、なんと読むのか不明なままです

もし「ごりんざわ」だったら「ごりんだいら」と関係あるのでは? と気になってます

上流にある川にかかってる群馬用水が「金沢川水路橋」なので、上流は金沢川だと思うのだけど

 

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後堤にあった資料 「二井小雨」も書かれている

 

 

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碑もありました

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石原後堤

後堤はこういう感じのでかい池というか貯水池です

ところで後堤の読みがわからず、うしろつつみ、こうてい、などで呼んでます

 

前堤も、まえつつみ、ぜんてい、などで呼んでます

 

⑥「村塘望月」 石原前堤

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村塘望月

 

村塘望月 高橋正懐

水光月色兩相和

塘面霄々價百斥

點々白鷗碁一局

綿々平浪動成紋

 

村塘月を望む そんとうつきをのぞむ

水光月色 兩ながら相和し すいこうげっしょく ふたつながらあいわし

塘面霄々として 價百斥 とうめんしょうしょうとして あたいひゃっきん

點々たる白鷗 碁一局 てんてんたるはくおう ごいっきょく

綿々たる平浪 動きて紋を成す めんめんたるへいろう うごきてあやをなす

 

文化しぶかわより

《詩の意味》

水面に映る光と月の色が調和して、堤防一帯がかすむ眺めは百斥の値打ちがある。水面のあちこちに浮かぶ白い鷗の眺めは碁の一局のようだ。絶えない穏やかな波は、美しい模様を作り出している。

《今の景色》

前堤は唐沢川より用水を注入しています。桜と木棚で囲まれ、赤白の鯉が泳ぎ幾重にも広がる波紋はとても美しいです。運がよければ「カワセミ」も見られるそうです。

季節により水量は変わりますが春の桜や若葉、夏の夜に輝く蛍、裾野まで見える赤城山など、四季折々の眺望は美しく、住人や近くの保育園児達の憩いの場となっています。

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桜の季節は一段と素晴らしい眺め

塘(とう)は堤のことらしい

百斥は百斤の間違いだろうか

 

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石原前堤

この写真を撮った後ろのあたりで蛍が見れます (2017616日には見れました)

 

渋川駅の近くに「前金沢川」というのが流れてるんですが、この「前堤」と関係あるのでは? と思ってます

 

この写真の奥に行きます

右のほうからぐるっと遠回りして、すこし森の中に入ったところに⑦「白山瀑布」の碑があります

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白山瀑布

 

 白山瀑布  後藤基祿

曳杖吟行到白山

鮮々瀑布一渓間

飛流奔下如雷起

此際詩成得意還

 

白山の瀑布 はくざんのばくふ

杖を曳いて吟行し 白山に到る つえをひいてぎんこうし はくざんにいたる

鮮々たる瀑布 一渓の間 せんせんたるばくふ いっけいのま

飛流奔下し 雷の起くるが如し ひりょうほんかし らいのおくるがごとし

此の際詩成り 意を得て還る このさいしなり いをえてかえる

《詩の意味》

杖をついて詩歌を吟じながら白山に着いた。すると前方の谷間に滝が見える。その滝を流れる水の勢いは雷が落ちた音のようだ。この時に詩ができたので、満足して帰った。

《今の景色》

保育園横の杉や雑木の中に入っていくと、白山瀑布の詩碑があり、その先に滝の水が流れていたという凹みが残っています。現在滝はありませんが今でも水が出ているらしく、下方に枯葉の沈んだ小さな池があります。

文化しぶかわだと

「いっけいのま」→いっけいのかん

 

山(さん)・間(かん)・還(かん)で韻を踏んでいる

 

たしかに仙石と行ったとき滝がなくて「滝どこだー?」と思いました

この上流に白山神社というのがあるらしくいつか行ってみたいです

 

石原寺へ移動

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赤城山が見えます

 

この近くにも石原八景のでかい地図がありました

 

このあと⑧「坊川暮色」の石原寺に行ったのですが、詩碑が見当たらず、寺に詳しい人もおらず「どこかに移したそうですよ」くらいの情報しか得られませんでした

 

でも今回「文化しぶかわ」で詩文が見つかったのでそれをそっくり写します

坊川暮色 小淵信義

閑到坊川景最竒

鵞毛片々落花欺

偶然少立吟詩句

將是西山日没時

 

坊川の暮色 ぼうがわのぼしょく

閑かに坊川に到れば 景最も奇なり しずかにぼうがわにいたれば けいもっともきなり

鵞毛片々として 落花を欺く がもうへんぺんとして らっかをあざむく 

偶然少立して 詩句を吟ずれば ぐうぜんしょうりつして しくをぎんずれば

將是れ西山に 日没する時 まさにこれせいざんに ひぼつするとき

《詩の意味》

ゆっくりとあるいて坊川に着くと、雪景色がとても珍しい。ガチョウの羽のように降る雪は、まるで散る花のようだ。たまたま、少し立ち止まって詩句を吟じた。今まさに日が西の山に沈もうとしている。

《今の景色》

渋高線の道路拡張により石原寺も移設、昔は蛍も飛んでいたという川は道路の下で、当時の面影はありません。

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石原寺にあったぼけ除け地蔵尊

奇(き)・欺(ぎ)・時(じ)で韻をふんでる

この詩はどこに雪景色であると書かれているのだろう 

ガチョウの毛が冬の季語なのだろうか

 

あとは②「金渓蛍火」なんですが、これもこの日にはもうなくなっていて、過去に仙石が撮った写真があるので使います

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金渓蛍火

金渓螢火 高橋宗曼 

 

渓畔曳笻繞百回 

飛螢爛々去還来 

無風無月星千點 

對此詩成亦樂哉 

 

金渓の蛍火 きんけいのけいか

渓畔に笻を曳いて 繞ること百回 けいはんにつえをひいて めぐることひゃっかい

飛螢爛々として 去り還来たる ひけいらんらんとして さりまたきたる

風無く月無く 星千點 かぜなくつきなく ほしせんてん

此れに對し詩成り 亦樂しき哉 これにたいししなり またたのしきかな

 

回(かい)・来(らい)・哉(さい)で韻を踏んでいる

《詩の意味》

川のほとりを竹の杖をついて何度も往復していると、美しく光るホタルが行ったり来たりしている。風が吹かず、月も出ていないので、夜空は満天の星が見える。

この夜景を眺めて詩が浮かんだ。これもまた楽しいことだ。

《今の景色》

閑かな自然が広がっていた金沢川は、平成元年の災害関連事業によりコンクリート壁になりました。夜空を飛ぶ蛍が美しかったという面影はありません。現在は場所を移して蛍まつりが行われいます。

金渓とは金沢川のことを指しているようだ

「現在は場所を移して蛍まつりが行われています」の「場所」がこの時訪れた石原前堤だと思います(係の人がいたりしたので)

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もともと詩碑があったのはこのあたりだったと思います

 

 

以上石原八景の資料でした