かつてあった川の名
2015/8/15(火)
渋川の長塚町にある大谷旅館に泊まる
そこで聞いた話
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「いま市役所通りになってるところはむかし川だったんだよ。蟹がよくとれたから蟹沢(カニザワ)って呼んでたかな」
その川について調べてみた
東京に戻ったあと国立国会図書館で1969年の渋川の地図を見る
その地図ではたしかに本来市役所通りがある位置に川があった
メモ
- 渋川が市になったのは1954年
- 市庁舎はかつて真光寺の近くにあったが、1968年に石原に移された
→なので1969の地図では、市役所が石原に描かれてる
- 1969の地図では、市役所通りの位置に川の記号が描かれている
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市役所通りがかつて川であったというのは本当らしい
この川の名前を調べる
- 2008年渋川市住宅地図(僕が普段使ってるもの)を見る
- 町の境目が市役所通りの線とは少しずれてることに気付く→おそらく町割りはむかしあった川を元にしている
- 町境を上にたどっていくと、ファミマのあたりに川
- 仙石(友人)にその川の動画で送ってもらったら、結構な水量がある
- その川を上流へ辿ると石原後堤あたりを通っていると判明
- さらに上流に「群馬用水金沢水路橋」と書かれている地点がある
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この川は「金沢川」なんだなと大体目星がつく
これは実際に見に行った群馬用水金沢川水路橋
写真手前から奥に群馬用水の水の走る橋がかかっており、その下で右から左へ金沢川(仮)が流れている
いろんな人に聞いてみた
- 夢屋書房の店主藤本さん
- 「渋川・北群馬の伝説」の著者中村倫司さん
- (人伝いだけれど)元市長の登坂秀さん
- 群馬用水の職員の方
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「金沢川」で間違いないようだが、読みで「カナザワ」or「カネザワ」とぶれる
『渋川市誌 第四巻 民俗編』の「 第五節 地名・ことわざ・方言」では地元で古くから呼び習わされていた地名が載っている
これらはどちらもルビ入りで書かれている
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「カナザワ」説が有力
カナザワorカネザワのもっと確たる証拠がないか考えていたが、時間がたち、やがてそのテーマについて考えるのもやめた。
2017/11/19
この日は入沢の百庚申塔や、並木町と金井の境目を流れる天神沢川を仙石とふたりで巡って、夜になった。
今まで行ったことがなかったけれど、どうも有名らしい寄居町の林家食堂で食事をとる。FGOでは復刻版クリスマスイベント(3代目はオルタちゃん)が開催していた。僕は開化丼という、衣の付いてないカツ丼のようなものを食べた。仙石はカレーを食べていたと思う。
開化丼
住宅地図を眺めて、何か面白いものはないか探した。
- かつて金沢川があったあたりの下流を見る
- 大崎のあたりに「金沢橋」というのを発見
ここで思考がはじけるような感覚があった、なぜなら
- 今までいろんな橋を渡ったことがあるが、橋には名前と完成日が刻まれてることが多い
- 橋の名前はなぜか漢字で書かれると同時にひらがなでも表記されてることが多い
- 「金沢橋」にいけば「金沢」の読みがわかる
強い興奮が起こり、橋へむかう
結果
かなさわはし
と書かれていた(新説)
ただ、この橋の文字は色々怪しいところがあり、例えば
- 「前橋市へ125粁」「沼田町へ200粁」と書かれている
- まず刻み込まれた溝あり、そこに黒で字を塗っている
- 粁はキロメートルの意味 米(メートル)が千で1000m=1km
- 実際には前橋市までは約12km、沼田へは20kmくらい
- よく見ると 12.5粁 20.0粁と 小数点が彫られているような跡がある
- しかし点は塗られてないため、沼田まで200kmとなっている(この地点から北に200km行くと新潟駅に着く)
「かなさわはし」と書かれてるところはどうか
- 「さ」の部分に刻まれた濁点は見当たらない
- 「は」の部分にも刻まれた濁点は見当たらない
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- 濁点を塗り損じてる訳ではなさそう
- 「かなさわはし」は合ってる
- では川の名前は「カナサワ」だった?
多分川の名前は「金沢川」で合ってる
ただ、読み方は
- 渋川市誌をもとに考えるならカナザワ
- 橋の表記をもとに考えるならカナサワ
と考えるようにした
そもそも漢字の読み方、川の名前はどの時点で正式になるのだろう
何を確たる歴史として記すことが出来るのか、僕はそういう感覚がうまくつかめないでいる